この記事でわかること
- 主の不登校の娘との向き合い方
- 不登校の子の心情(主の娘バージョン)
- 向き合い方(主バージョン)
いつから不登校になった?
主の子は中1の2学期の途中から不登校になりました。
中学生になって休みがちになっていたのですが、冬休み明けからぱたりと学校に行かなくなりました。
学校に行かない子に思ったこと
- さぼりたいだけではないのか?
- 私の子に限って不登校にはならない、すぐに学校に行くようになる。
- 学校に行かない選択をなぜできるのか?
先生とのやりとりで感じた違和感
不登校になる前兆として、部活をやめました。
その時に主と娘と先生の三者面談をしました。
一生懸命部活をやめないように説得する私。
部活をやめることで頑張る目的がなくなってしまうのでは?という不安から説得していました。
無理することないよという先生。
黙って聞いている娘。
その時の私の心情
なぜ、先生は無理することないと言うのか?
甘すぎるのでは?と思いました。
その後学校を休みがちになり、不登校へ。
文部科学省の不登校マニュアル
2003年に「不登校の生徒に、登校を促すことは状態を悪化させる場合がある」という指摘により学校はあまり登校をすすめる話はしないようです。
それより、地域で不登校になった生徒をサポートしていく活動が活発化してきたようです。
先生との違和感の原因は指導マニュアルでした。
先生も言えない言葉があった。
娘の心の移り変わり
不登校になりかけた時:中学1年生の時
最初は友達関係や先生に不信感を持ち始めたのがきっかけのようです。
友達との板挟みで疲れた心。
苦手な先生の行動や発言が気になってストレスになっていた。
娘がこんなに繊細な心の持ち主だとこの時に知りました。
1年後:中学2年生の時
学校に行かないといけないのは分かってるんだけど。
さぼっていると言われても仕方がない。
だんだんと心が落ち着いてきたのがわかりました。
1年半後:中学3年生、受験生になって
高校は卒業しないといけないのだろうな。
行ける学校があるのだろうか。
今さら勉強できるのだろうか。(勉強したくない)
将来への不安がわいてきたのが伝わってきました。
主が娘に話をしてきたこと
学校に行かない選択をした娘を尊重しました。
それも、この子の個性であり人生だと。
親として出来ることは何があるのか?
娘の心が大きく揺れ動いているのも近くにいてわかりました。
ただ見守ることかできないと思いましたが、何も伝えないのも無責任なきがしました。
娘の考えを尊重しながら、不登校(学校に行かない選択)によって考えられる未来を二人で考えました。
高校受験
もし、行きたい高校がでてきてもいけない可能性がでてくる。
高校に行けない可能性も。
仕事
もし、やりたい職業、働きたい会社が出てきても学歴でそのステージにたてないかもしれない。
そのステージに立つまで、再度何かを頑張らないといけない。
資格取得も学歴が必要な場合もある。
恋愛・結婚
当人同士では理解しあえていても、家族がそうだとは限らないし、長い生活の中で学歴を引き合いに出されることは0%ではないということの覚悟が必要。
社会
表には出さなくても、中卒だから、高校行ってないからという言葉はどこからか耳に入ってくるかもしれない。
事実である以上、その言葉を受け流す心をもたなければいけないという事実。
不登校中の娘の生活
不登校当初
学校に行かない罪悪感から部屋に引きこもりがちに。
家族と顔を合わせるのも合わせづらいので、昼夜逆転の生活に。
不登校からしばらくたって
娘の罪悪感を少しでもかるくするために、主がしたこと。
仕事をしている私は、夕食を娘につくってもらうことにしました。
そして、娘が作ってくれることへの感謝の言葉をつたえ、存在意義を感じてもらった。
学校の先生と二人三脚
中学2年生の担任の先生が、とても寄り添ってくれたのも救いになりました。
週に1度、放課後に先生と話をしに学校へ行くようになりました。
登校扱いにならないものの、学校へ行っているという安心感もうまれたようです。
少しずつリビングにいる時間が増え、表情も明るくなりました。
中学3年生になり進路希望調査票を提出
未来のリスクを話し合ったりしたときに、「勉強をしたくない」という発言に対して
主は働くことを選択してもよいと話しました。
そうすると、「高校は卒業しておかないと」という発言が娘からありました。
そこで、中学3年生になったら通信制の高校を二人で調べようと話しました。