友人からは嘘のようで信じられないと言われる出来事ですが、我が家では当たり前に出てくる私を責める言葉。私は言い返したいけれど、言葉も出ず、胸が痛く締め付けられる日々が続いた。
ネグレクトだと責められた日

日曜日の午後だった。
元夫と長女は、家で昼寝をしていた。
私は、その間に買い物を済ませようと思った。
冷蔵庫の中を思い浮かべながら、必要なものをいくつかメモした。
「今のうちに行ってこよう」
そう思った。
家から車で数分のスーパーだった。
ほんの少しの時間で戻ってこられる。
元夫も家にいる。
長女も眠っている。
だから私は、車に乗って買い物へ出た。
スーパーで必要なものを買い、急いで家へ戻った。
それは、私にとっては特別な出来事ではなかった。
家族のための、いつもの買い物。
ただ、それだけだった。
ところが、家に戻った私を待っていたのは、責める言葉だった。
「子供を置いて出て行ったお前は、母親じゃない」
そして、
「ネグレクトだ」
そう言われた。
一瞬、何を言われているのか分からなかった。
私は子供を捨てたわけでもない。
遊びに出かけたわけでもない。
自分のために長時間、家を空けたわけでもない。
必要な買い物をするために、ほんの数分、家を出ただけだった。
しかも、家には父親である元夫がいた。
それなのに私は、
「母親じゃない」
と言われた。
「ネグレクト」
という言葉まで投げつけられた。
その言葉は、買い物袋よりも重く感じた。
私は母親として、何か間違ったことをしたのだろうか。
家族の食事を用意するために買い物へ行くことさえ、許されないのだろうか。
母親なら、子供が眠っている間も、家から一歩も出てはいけないのだろうか。
そんな疑問が、頭の中をぐるぐる回った。
そして何より苦しかったのは、
「母親じゃない」
という言葉だった。
母親であることを、否定されたような気がした。
私はその日も、母親だった。
買い物をしていた。
家族が食べるものを買っていた。
家に戻ることを考えながら、車を走らせていた。
それでも、その事実よりも、私に向けられた言葉のほうが強く残った。
「お前は母親じゃない」
その言葉を聞いてから、私は自分の行動を疑うようになった。
これくらいなら大丈夫。
これくらいなら普通。
そう思っていたことさえ、
「私が間違っているのかもしれない」
と思うようになっていった。
母親として何をしても、
「それでは足りない」
と言われているような感覚。
何かをするたびに、
「これも母親失格なのだろうか」
と考えてしまう。
ほんの数分の買い物だった。
けれど、その日から私は、
「母親」という言葉を、以前とは違う重さで受け止めるようになった。
母親とは、子供のために自分の時間も、自分の判断も、自分自身さえも、すべて差し出さなければならない存在なのだろうか。
それとも、
子供を大切に思いながら、自分の生活も守っていくことのできる存在なのだろうか。
あの日の私は、その答えが分からなかった。
ただひとつ分かっていたのは、
私は子供を置き去りにしたかったわけではない。
子供を見捨てたかったわけでもない。
私は、家族のために買い物をして、家に帰ってきただけだった。
それなのに私は、
「母親じゃない」
と呼ばれた。
その言葉は、買い物が終わっても消えなかった。
家に戻っても、
眠っている長女を見ても、
冷蔵庫に買ってきたものをしまっても、
ずっと心の中に残っていた。
そして私は、少しずつ、
「自分の感覚より、相手の言葉のほうが正しいのかもしれない」
と思うようになっていった。
それが、いちばん怖いことだった。
